フィッシュストーリの吹き溜まり

ヒーローショー

 ヒーローショーのバイトの求人をインターネットで見つけたのは、3月の半ばだった。フリーター歓迎、日給1万円以上、未経験歓迎、急募のうたい文句を見て、俺は応募することに決めた。24歳でアルバイトというのは最悪ではないが、決して順調な人生とは言えない。一人暮らしの6畳間のパソコンの前、アパートのすぐ横を通過していく列車の騒音を聞きながら、求人サイト上の履歴書を入力していく。就職活動に失敗し、大学を卒業してフリーターになってから、2年が過ぎようとしていた。

 2時間程すると折り返しの電話があった。割と感じのよさそうな若い男性の声がする。「久保田さまですか?この度は弊社のアルバイトにご応募いただき誠にありがとうございます。早速ではございますが、面接の日程を決めさせていただきたいと思います。お時間大丈夫でしょうか?」簡単な予定確認の後、2日後の13時からイベント運営会社の事務所で面接を受けることが決まった。拘束時間は約8時間で日給が1万2千円。ヒーローショーなんてやったこともないが、割といいバイトを見つけられたものだ。

 

 市の中心駅から10分ほど歩いたところにあるアパートの一階にその会社の事務所はあった。インターフォンでバイトの面接に来た旨を告げると、電話で話した男の声に中に入るように促される。内部は島型にデスクが並べられ、申し訳程度に観葉植物と絵画が飾られた典型的な中小企業の事務所という感じで、中年の男性と若い女性が事務作業をしている。「ああ、久保田さんですね。この度はご応募ありがとうございます。こちらにどうぞ」想像していたよりも日に焼けてがっちりとしていた電話の男性が、あいさつもそこそこにさらに奥の部屋に案内する。こちらはヒーローショーの小道具や客を誘導するための三角コーンなどが詰め込まれた、半分倉庫、半分会議室といったような部屋だ。

 「いやーまだまだ寒いですね。履歴書お預かりします」などと言われながら、テーブルをはさんで腰を下ろす。「年齢が24歳で、大学を卒業後アルバイトをなさっているんですね、、、この度こちらの求人を志望していただいた理由をお聞かせいただけますか?」

 俺は適当に考えてきた、子供が好きだとか、夢を与える仕事をしてみたいといった志望動機を話した。このやり取りはなれたものだ。いやというほどに。

 「なるほど。イベントは2日後の日曜日で、ちょっと急なんですが、大丈夫ですか?」

 俺はもちろん大丈夫ですと答える。時間ならいくらでもある。

 「ありがとうございます。私たちも久保田さんのような方と一緒にお仕事がしたいと思っていました。採用です。ほかに聞いておきたいことなどありますか?」

 これは予想以上に順調に話が進んだものだ。実際俺は所詮バイトなので言われたことをするだけだと思うのだが、一応何か聞いておく。

 「あのー、ヒーローショーのバイトは初めてで着ぐるみ?みたいなのの中に入るのも初めてなんですが大丈夫でしょうか?」

 「もちろん大丈夫ですよ。マニュアルがありますし、それにヒーローショーといっても小規模なものなので、音声に合わせて適当に動きをつけてもらうだけで問題ないですので。当日打ち合わせもしますし、久保田さんに担当していただくヒーローが出てくるのは実質10分くらいですから」

 そんなものなのだろうか。まあ失敗しても責任があるわけではないし、給料が出るならば問題ないと思いなおし、俺は家路についた。

 

 バイト当日の日曜日、集合は午前8時。会場になっている市が運営するイベントホールにつくと、すでに運営会社の社員やほかのアルバイトが集合していた。社員が5、6人で、学生くらいの年齢のアルバイトが10人ほどだろうか。電話で話した男性社員に軽く挨拶し、スマホを見ながら時間をつぶす。8時を少し回ったころに責任者であろう小太りの中年社員が、集合の合図をかける。

 「おはようございます。本日はよろしくお願いします。アルバイトの皆さんには午前中は主に会場設営とお客さんの誘導をお願いして、午後から一部の人たちにはヒーローショーへの出演をお願いします。まずは、会場設営と誘導時の配置について社員のほうから説明しますので、、、」

 中年社員の長々とした説明は続いている。先ほどまわってきた予定表にざっと目を通した限りだと、どうやら市のガス会社の企画でガス用品の展覧会、様々な出店、地元のよさこい倶楽部の公演などが行われる「感謝フェア」というイベントらしい。その中の企画の一つとして、ガス会社オリジナルの戦隊ヒーローのショーが行われるとのことだった。

 午前中はほかのアルバイトと一緒にテントやステージを設置したり、客の列をつくるテープを持ったりしながら時間は過ぎていった。無料でコメがもらえるという特典があるらしく、会場には多くの人が詰めかけている。まったく現金なもんだ。無料のコメのためにそうまでして並ぶもんか、と俺は考えていた。12時を回った頃、例の若い男性社員から「久保田さん、これからヒーローショーの打ち合わせしますので、裏のプレハブに来てもらえますか」と声を掛けられる。いよいよ打ち合わせだ。何の説明も受けていなかったから、少し不安に思っていたところだった。

 ステージ裏から少し離れたプレハブには、案内してくれた男性社員、音響担当らしくPA機器をいじっているひげ面の中年男性、少し年上らしいショーの責任者の社員、ガス会社の担当者、朝見かけたイベント会社の社員二人、アルバイトの女性一人が集まっていた。責任者のなんとなく要領を得ない説明は、要するに今渡された10頁にも満たない台本の通りに動けばよく、セリフはすべて良いタイミングで音響スタッフが入れるということ。そしてイベント会社の社員二人が前説をした後にさらわれるお姉さんと、クマと鬼の中間のような絶妙におどろおどろしい敵(着ぐるみ)役をすること。そして、俺と隣に座っている大学生らしいアルバイトが男女のヒーロー役をするということだった。音響さんが俺たちバイト二人に向き直って話をする。

 「あー、とりあえず今からその台本でやった時のDVD流すから、見てだいたい覚えて。だいたいでいいよ。星さんは二回目だからわかってると思うけど、一応ね」

 古ぼけたブラウン管テレビにどこかの広場のステージで行われているらしいヒーローショーの映像が映し出される。いかにもB級のショーだ。ストーリーは前説のお姉さんが怪人にとらわれて助けを求める。すると、男女一組のヒーローが現れてお姉さんを助け出す。ヒーローは怪人のキバ攻撃に苦戦するが、最終的には正義の剣を使った必殺技で勝利する。まあ、どこかで見たようなものだ。

 映像を一通り見終わると、隣に座っていた星さんと呼ばれた女性が話しかけてくる。

 「はじめまして、星です。今日はよろしくお願いします!」

 「ああ、久保田です。こちらこそよろしくお願いします、、、」

 最初見たときから思っていたが、結構かわいい女の子だ。髪は肩までかかるミディアムボブで少し茶色だ。快活そうなぱっちりとした二重で、少し日に焼けている。身長は155センチくらいだろうか。聞けば俺が通っていた大学の近くにある教育大学の体育学部の2年生で、テニスをやっているとのことだった。

 「私、このバイト2回目なんですよ。この前は夏だったんで、ヒーロースーツ着るのめっちゃ大変だったんですよねー」

 などと言いながら、笑っている。俺は適当に相槌を打つ。こんな感じの明るくてかわいい女の子が彼女だったらと考えてしまうのは、孤独なフリーター暮らしが長くなってきた証拠だろうか、、、。

 しばらくして音響さんが戻ってくる。

 「おー、終わってるね。じゃあ一回リハしておこうか。怪人役のやつが現場で使われてるから、そこは適当に」

 俺たちは台本を読みながら2回なんとなく通しでリハをやる。お姉さん役のスタッフはわざとらしいくらいはきはきと演じ、星さんも割と様になっている。俺は自分ではグダグダだったつもりだが、音響さん曰く「それでダイジョブー」とのことだった。

 

 その後、視界は悪いし、少しぶかぶかのヒーロースーツに着替え、16時からの本番が始まった。俺は少し緊張していたが、星さんは「頑張りましょうね!」とヒーロースーツの下でたぶん笑顔だ。

 舞台袖から見てみれば、お客さんは30人弱。小さい子供とその保護者が半々くらい。この会場の規模にしてみれば、かなりお客さんは少ない。「イベント、17時までだから、結構みんな帰っちゃってるらしいですよ」とは星さん情報だ。お姉さんの前説がすでに始まっており、一部の小さい子供は盛り上がっているが、大半のお客さんの反応は微妙だ。すでにステージを見ていない子供やスマホをいじっている大人も多い。少し気が楽になってきた。

 ここで怪人が登場する。怪人役のスタッフは割と身長が大きいので、結構迫力がある。「食っちまうぞ!」と阿保みたいなことを言いながら、前説のお姉さんを羽交い絞めにしている。そろそろ出番だ。

 派手な登場音と「お姉さんを放しなさい!」というセリフとともに、俺と星さんがステージに飛び出る。「なんだお前たちは!」という怪人のセリフに対して「ガスの炎で世界を救う!」と答えて、ポーズを決める俺と星さん。客に見られていると思うと恥ずかしくなってきた。知り合いがいなければいいのだが、、、。怪人はお姉さんを放り出して、こちらに向きなおる。ここからアクションシーンなわけだが、ろくに打ち合わせもせず、全く素人の俺たちにそんなに派手な演技ができるわけでもなく、適当にパンチやキックを出したりする。それに合わせて「ドカッ」、「バシッ」といった無駄に派手で豪快な効果音が響き渡る。はたから見ればなかなかにシュールだろう。俺は先ほど見たDVDの映像を思い出していた。

 しばらくアクションシーンが続き、ヒーロー側が優勢になったところで、怪人が「〇▽■ファング!」とかいう必殺技を繰り出す。何と言っているのかわからないが、星さん演じるヒーローがつかまり、わき腹にかぶりつかれる。怪人の大きい口と牙が星さんのわき腹に突き刺さる。痛みのせいか、恐怖のせいか星さんの悲鳴が響き、赤黒い内臓がわき腹から飛び出ている。お客さんの小さな「おお」という反応が聞こえたが、そんなに盛り上がらない。星さんには損な役回りをさせてしまったが、これも台本だ。しょうがない。

 「なぜこんなことをするんだ!」とは、俺が演じるヒーローのセリフ。それに対して、「勘違いしないでほしいのだが、我々は人間が憎くて襲っているのではない。ただの食事なのだ。君たちは昨日食べた牛が憎かったのか?」とやたらいい声で、哲学的なことをのたまう怪人。そんなことは俺の知ったことじゃない。次の俺のセリフは「ガスの力でおいしく調理!」だ。全く会話がかみ合っていない気がするのだが、それでいいのだろうか。

 俺は「ガス・ファイヤー・ソード!」の音声を合図に、手にした剣を振り上げる。もちろん、派手なCGなんかがあるわけではないので、鉄パイプに剣の張りぼてをつけた棒で怪人に殴り掛かる。怪人役のスタッフもなかなか必死に抵抗する。一度、二度、三度。怪人の頭めがけて鉄パイプを振り下ろす。最初抵抗があったが、四度目には全く抵抗がなくなった。前説のお姉さんが「ありがとうございます!」と俺に駆け寄る。最後のセリフは「ガスの力で明日を照らす!」だ。無駄に大きいファンファーレが鳴り響いて、まばらな拍手が起こる。

 

 ようやくショーが終わり、撤収作業が始まっている。俺が暑苦しいヒーロースーツを脱ぎ作業に合流したときには、星さんや怪人スタッフの死体はすでに片付けられていた。音響さんがタバコを吸っている。2時間弱で撤収は終了し、プレハブの事務所でアルバイトの度に書かされる控除関係の書類などを記入する。採用してくれた男性社員が「久保田君、お疲れ。いやー、まじめにやってくれて助かったよー」と声をかけてきたので、俺は「うっす」と適当に返事をする。「もしよかったら、これからもイベントやるときに声かけたいからさ、スタッフ登録していかない?」と誘われたので、俺は名前や電話番号を書くだけのスタッフ登録票に記入した。

 すっかり日が暮れていた。3月半ばとはいえ、風は冷たい。久しぶりに体を動かしたので、節々が痛い。しかし、1万2千円だ。しかも週払い。これで家賃を払うめどはついた。悪くない仕事だったと俺はそこそこ満足して、家路についた。

 

≪終わり≫

小路幸也『ロング・ロング・ホリディ』を読んで

あらすじ

 1981年、札幌の喫茶店〈D〉でアルバイトする男子大学生が主人公。主人公の幸平は、バイトのチーフにしてイケメンの兄貴分ナオキ、まじめなブチョウ、音楽をやっているエドといった仲間たちと楽しくバイトをしている。そこに東京に出て、7年間会っていなかった姉が帰ってくる。そこから始まる、社長と店長と事務員の三間関係、店の常連の高校生ヒロコの夢と家族をめぐる確執、姉が東京から帰ってきた理由と主人公家族の問題、それらが絡み合ったヒューマンドラマ。

 

感想 

 この小説は職業もの小説にして、青春小説といえる。ほぼすべての出来事が、主人公がアルバイトする喫茶店で展開される。喫茶店の仕事内容に関する描写は非常に細かい。ただしそれは物語を冗長するものではなく、後述するように舞台となる80年代の雰囲気をよく伝える舞台装置になってくれているし、比較的数が多い登場人物の個性を引き立たせることにもつながっている。

 一方でヒューマンドラマとしてみるならば、この小説のプロットは割と平凡な域に入るかもしれない。痴情のもつれともいえる大人の三角関係、夢を追って上京しようとする高校生とそれに反対する両親の確執がメインの事件となる。このようなある意味で使い古された題材を、80年代初頭の大学生であり、喫茶店のアルバイトでもある主人公の目線で見ていくという点が、その時代のことを知らない私にはとても新鮮に映った。

 要するに、私がこの小説を読んで一番面白いと感じたのは、絶妙な「80年代感」である。筆者の小路幸也氏は1961年生まれとのことで、この時代に青春を送った方だからこそ書ける何とも言えないリアリティ、空気感がある。よく考えると主人公の幸平と筆者は名前が似ているし、小説を書くというところもかぶっているので、筆者自身をモデルとしているのかもしれない。物語の節々がいい意味で古臭い感じなのだが、それが読み進めていく上での面白さになる。小説はどれほど創作的なものであれ、筆者自身の経験(身体性?)と無関係ではいられないという話をどこかで聞いたことがあるが、この小説を読んでそれを実感した次第である。

ガブリエル・ガルシア=マルケス(堀内研二訳)『ある遭難者の物語』を読んで

魔術的リアリズムの旗手にして、現代ラテン・アメリカ文学の雄、ノーベル文学賞受賞者ガルシア=マルケスによるドキュメンタリー。代表作『百年の孤独』は、南米ではソーセージ並みに売れたともいわれる空前のベストセラーとなり、安部公房をはじめとした日本の作家にも強い感銘を与えた。

 

あらすじ

 20歳の水兵が主人公。アメリカからコロンビアへの帰途、自身が乗る駆逐艦が荒波にあい、ほかの仲間たちと一緒に海に投げ出される。主人公のみが救命いかだに乗ることができ、ほかの仲間たちがおぼれていくところをなすすべなく見つめる。そうして、10日間にわたる漂流が始まる。水も食料もない極限状態の中、主人公は飛行機やカモメなどの希望に一喜一憂し、サメにおびえ、太陽に焼かれ、そして時に幻覚を見ながら自身の生死と向き合う。長い漂流の後、主人公は陸地にたどり着き、現地の住民に救助される。その後彼を待っていたのは、英雄的な歓迎と商業的な成功、そして政治的な圧力であった。最後に新聞記者としてガルシア=マルケスが登場し、彼の取材とその後を語ることで物語は締めくくられる。

 

ドキュメンタリーという性質

 先述のようにガルシア=マルケス最大の魅力は、空想的な世界観である。しかし、「訳者あとがき」でも述べられるように、本作はドキュメンタリーという性質上、空想的な部分は少ない。もちろん様々な描写の中に、寓意的な意図を読み取ることは可能であるし、漂流後英雄としてまつり上げられる主人公は、確かに『百年の孤独』の成功後に国家の英雄とされたガルシア=マルケス自身と重なるところもある。

 しかし、やはり本作はドキュメンタリーとして読むべきであるように思われる。文体は極めて簡潔で、漂流譚という性質もあるが会話文はほとんどない。新聞記者出身のガルシア=マルケスの特徴がよく表れていると思う。加えて、会話文なしでも面白い物語を書くことができるという証拠でもある。

 

ノンフィクションの漂流譚としての面白さ

 漂流譚というのは『ロビンソン・クルーソー』をはじめ古来多くの物語のテーマとなってきた。そう考えると、本作の展開や内容は地味かもしれない。しかし、個人的には主人公が自身の生死を向き合う場面には感銘を受けた。例えば主人公は9日目の夜に故郷の家族のことを思い浮かべる。「それは、私のための最後の通夜の晩であった。明日には祭壇をとり払い、みんなはだんだんと私の死になれるようになるだろう。」しかし、その翌日に主人公は陸地を見つけ、生への希望を捨てずに陸地にたどり着く。こうした気持ちの振れ幅を描き出すところに本作の面白さがある。

 

しかし、これはドキュメンタリーなのか?

 ここまで述べてきたことと矛盾するようではあるが、本作は完全なノンフィクションとは言えないところが魅力である。最後にガルシア=マルケスが主人公を取材した際のことを語る「この物語について」は、本作全体の中でもっとも評論家などの関心を集めているようである。ここに至って、これまで語られてきた英雄譚が実は政治的圧力を受けて改変されたものであることが分かる。特に物語冒頭の荒波による遭難の鬼気迫る場面は、実は全くの虚偽であった。こうして本作は独裁政権による情報統制批判にもつながるのであるが、現代の日本の一読者としてみれば、どこまでが真実でどこまでが虚偽か分からないものがもっともらしく語られるところ、このような数奇な運命をたどった主人公のその後にとても興味を惹かれる。

 

小さな岬のある物語

 海老取川が多摩川に合流するところ、東京大空襲の際の水難者を祀った五十間鼻無縁仏堂の下、海側に突き出した小さな岬がある。

 祖母が「そこまで、そこまで」と孫が岬の先へ先へと進んでいこうとするのを止める。孫は水鳥の群れを見ながら先へ先へと進んでいく。祖母は声をかけ続ける。孫は進む。そしてはたと止まる。きっと孫はどこまでが安全か本能的に分かっていたし、祖母がいるという安心感がなければそもそも進んでいかなかっただろう。

 次にやってきたのは親子三人。母と娘(姉?)と息子(弟?)。先ほどの二人よりも、もっとゆっくりと岬を進んでいく。母と娘は岬の真ん中あたりで立ち止まって話をする。しゃがみこんで何か見ている。どんな話をしているのだろうか?魚や貝なんかがいるのだろうか?それとも何か面白いものが沈んでいたのか?弟のほうは先へ先へと進んでいく。男の子はお話よりも冒険である。しばらくすると弟のほうは戻ってきて、先ほど母と娘がしゃがみこんでいたあたりで同じようにしゃがみこんで何か見ている。逆に母と娘はもう少し岬の先へ。そして娘のみがさらにさらに先へ。するとほとんど同じタイミングで姉と弟は振り返り、岬の真ん中にいる母のもとへ戻っていく。

 海老取川へ入っていく釣り船が岬に波を立てる。親子が私のほうを向く。そろそろ夕暮れだ。帰ろう。誰もいない家へ。

 

≪終わり≫

逓減性の問題(仮)

 悲しいことはたった二つだ。一つは好きなものがなくなること。もう一つは好きだったものを好きではなくなること。前者に関してはあまり経験がない。私はまだ27歳で、もちろんある人たちにとっては「もう」27歳かもしれないが、とにかく好きなものの大半は私が好きになった時と同じように今もある。中学校の時好きだった女の子は、先生として地元のダンス教室に勤めている。二年ほど前に結婚して、私がどうこうできることはないのだけれど、魅力的な笑顔とくっきりとした二重と少し広い額は出会った頃と変わらず、今でも私をときめかせる。

 問題なのは後者のほう、つまり好きだったものを好きではなくなるということだ。ときめきが減っていく。出会った頃はそれは猛烈にときめく。しかし時間が過ぎるにつれて、それが手に入らないものだと気がついてしまう。私はイケメンでもないし、金持ちでもない。何か特別な才能があるわけでもない。平均以下の工場労働者。どうせ望んだものなど手に入らないとあきらめる。そうしてときめきが減っていく。もちろんそれでも好きなものもある。その場合、好きなものは、家族や本当に親しい友人のような手に入る入らない以前のもの、あって当たり前の空気のような存在になる。当然好きなものを手に入れられるに越したことはない。愛は惜しみなく奪うといったところだ。しかし、そうなることはめったにない。だから、ときめきがだんだんと減っていって、やがて好きだったもののことを忘れてしまう。嫌いになるのではなく。これを私は「ときめきの逓減性」と呼んでいる。

 

 2021年1月、私はあなたのライブに向かう。会場は大田区羽田の小さなライブバー。休日7時前の京急空港線大鳥居駅周辺は人影もまばらで、平日にはサラリーマンや町工場の職人で忙しない平凡な街並みも、はっぴいえんどの「風をあつめて」にうたわれるような少し感傷的な風景に見える。私は環八通りを過ぎ、産業道路に沿って羽田神社を目指し歩き始める。さすがに産業道路は車が多いが、都県境の大師橋まで見通せるほとんど人気のない歩道とまさに漸次的に橙色から水色へ変わりつつある朝焼けの空は、よく澄んだ冬の空気と相まってさわやかだ。いくつかの通りを横切れば、800年前の鎌倉時代、羽田浦水軍領主であった行方与次郎が「牛頭天王」を祀ったのが起源だという羽田神社が見えてくる。

 私は気まぐれに薄いオレンジ色の羽田神社を通り過ぎ、大師橋にのぼってみる。橋備え付けの陸橋を過ぎ、階段を登れば左手には首都高、多摩川スカイブリッジ、羽田空港東京湾が見渡せる。右手には多摩川秩父山地丹沢山地の山々、そして富士山が見えるはずだ。私の足取りも自然と早くなる。ようやく大師橋にのぼり下流のほうを見れば、越冬のためにやってきたキンクロハジロの群れがちょうど着水したところだ。黒い頭と背中、白いくちばしと腹、黄色い目が特徴的なその鳥は、最近多摩川沿いに引っ越してきた私がおぼえた野鳥の一種だ。この橋を渡れば神奈川県川崎市。工場の煙が朝日に照らされて、柑子色に染まっている。次の瞬間に、そういったものは目に入らなくなる。

 あなたが立っているのを見つけた。斜張橋を支える二つの主塔の東京側、その構造のために踊り場のようになっている塔のたもとで、あなたは羽田空港から東雲に向かって飛び立つ飛行機に携帯のカメラを向けている。肩にかかる黒髪は緩やかな海風に揺られ、色白の横顔はやはりうっすらと柑子色に染まっている。ネイビーのボアコート、黒いロングのプリーツスカート、黒いロングブーツ。私は目を奪われながらも、くだらない虚栄心(恐怖心?)からまるで何も目にしなかったかのように、何の関心もなかったかのように通り過ぎようとした。このまま川崎まで歩いていこうか。「あれ、サトウ君?」あなたが声をかけてくれる。あなたは、あなたの一言がここまで人を幸せにできると想像できるだろうか?

 「ああ、おはようございます!どうしたんですか、こんなところで?」

 私はすこしわざとらしく、笑顔で快活に答えてしまう。少なくともそうしたつもりだ。当然ライブの準備をしに来たに決まっているし、私もこの周辺を歩いていればあなたに会えることを全く期待していなかったわけではないが、それにしても少し時間が早い。ライブは12時開演で、あなたの出番は二番目だったはずだ。

 「会場に入る前にちょっと取材の準備もかねて、この辺りを散歩してみようと思ってるの。今度雑誌で今回のライブを取り上げてもらえることになったんだ。事務所の子たち全員と一緒なんだけどね。」

 そう言ってあなたは同じ事務所の女優、アイドル、声優の名前を挙げる。もう私はあなたを見ることはできなくなっていた。代わりに私は休日の早朝から賑わいを見せる釣り船が出入りしている、羽田水門に目をやった。知り合いの写真家がその水門を絵葉書にしたものをプレゼントしてくれた。アナログカメラで撮影したポートレートで、東から入る太陽光がレンズに虹彩を作り出し、どうやって現像したのか色褪せたセピア色の空がありふれた構造物にノスタルジーを加えている。

 

≪続く≫